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日本における最初のソフトボールは、大正10年(1921年)アメリカ留学から帰国した東京高等師範学校教授 大谷武一氏によって、学校体操科の遊戯として紹介されたことに始まりました。当時は「インドア・ベースボール」とか「プレイグラウンドボール」と呼ばれていました。
大正末期から昭和にかけて、日本では硬式・軟式野球が盛んでいたこともあり、ソフトボールは学校体操教授要目の中の遊戯として、一部の学生の間で行われていたにすぎませんでした。
昭和20年末、アメリカ駐留軍が14インチ・スローピッチ、12インチ・ファストピッチのソフトボールを全国各所で展開し、日本軟式野球連盟にソフトボール部が併置されましたが、具体的な普及・振興策を示すまでには至りませんでした。
当時、武道を禁じられていた日本は、青少年の健康と明朗な精神を取り戻すため、文部省で協議した内容に岩野次郎氏(当時文部省体育官後の日本協会副会長)、栗本義彦氏(当時文部省体育官。後の日本協会副会長 日本体育大学長)の提案により、ソフトボールの普及が強調されるようになりました。
昭和21年9月、大阪府 藤井寺球場で、1チーム10人で行うソフトボールの講習が行われ、同年10月には大阪府下12校の女子チームによって、日本で初めてのソフトボール大会が開催され、米軍の助力もあり、その後、東京、横浜、名古屋、神戸、広島、福岡などで次々と大会が開催され、翌昭和22年には、第2回石川国体の高校硬式野球の準決勝、決勝の間に女子ソフトボールの試合が非公式のオープンゲームとして行われました。
昭和24年1月、日本軟式野球連盟評議員会でソフトボール部の分離・独立の交渉にあたり、日本協会の設立に着手し、 同年3月31日、日本協会が設立された。初代会長には四角誠一氏(当時大阪ガス代表取締役)が就任しました。岸記念体育会館内に事務所を置き、協会最初の事業として、ルールの制定、加盟チームの登録、用具の検定などが行われました。
また、同年8月には、記念すべき第1回全日本女子選手権大会が開催され、本格的な活動を開始しました。この第1回大会は高校女子の部、一般女子の部が行われ、共に9チームが参加して熱戦が繰り広げられました。
この年の暮れ、日本体育協会加盟と国体正式種目入りが実現し、名実共に競技団体としての仲間入りを果たし、その記念すべき“第一歩”を踏み出しました。
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